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さて、この咄が事実であったのかどうかはわかりませんが、随流斎が茶書に書きとめた意図はどこにあったのでしょうか。瀬田掃部は、師の利休居士を招いた茶会で寝過ごしてしまったことを深くくやみ、それ以後、茶の湯をやめてしまったといいます。もちろん掃部の招いた客が師匠の利休居士ということもあったのでしょうが、茶の湯で人をもてなすことの大切さを掃部は身をもって示したといえるでしょう。そこには、茶の湯とはそれほど大事なものだという教訓が示されているように思えます。
江岑が、ある人から聞いたこの咄を随流斎に話して聞かせた意図もそこにあったのではないでしょうか。そして随流斎も、江岑の意図を十分に理解していたに違いありません。
茶の湯の伝承は、茶の湯の教えとして重要な意味を持っているからこそ、語り継がれてきたのです。
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