宗和の茶風は「姫宗和」と称されるように、優美な好みを基調としたものでした。宗和の事績の一つは野々村仁清(ののむらにんせい)を指導して色絵の京焼を完成させ、その流通にも深くたずさわったことです。仁清が京都御室(おむろ)の仁和寺門前に窯を開いて手がけた焼き物は「御室焼」といわれますが、綺麗で色鮮やかなこの焼き物はのちの京焼に大きな影響を与えました。
禁裏・公家社会では宗和の茶が広く受け入れられ、宗和の竹花入や茶杓、そして仁清の焼き物が道具としてよく用いられています。
宗和は「茶の湯は根本、往古臨済宗の侘僧、わび第一にして、清浄の道にかない、面白き事とて用い始めたるよしなり。然れば侘る事本たり」ということばを残しました。宗和の数寄は華やかな美しさを表現するものでしたが、茶の湯の根本は禅とも深い関わりがある「わび」であると言っています。宗和の茶の湯の底流にあるものも利休のわびの心でした。
ちなみに、この宗和のことばが記されている茶書は『宗和ノ十三冊ト云書』といい、公家茶道の確立に大きな役割を果たした近衛予樂院(このえよらくいん)も読んでいたようです。
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