世界の喫茶文化

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村田珠光「心の文」

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千利休『逢源斎書』より

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千宗旦「元伯宗旦文書」より

その1  その6  その11

その2  その7  その12

その3  その8  その13

その4  その9  その14

その5  その10 その15

千宗旦「茶杓絵讃」より

江岑宗左「江岑宗左茶書」より

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   「少庵の事績 京都と会津」

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千宗旦 「元伯宗旦文書」より その3
われわれかやうニ正直なるハ、よく心得候へく候、

「さび」は「わび」と同じ意味でしょう。つまり、千家のわび茶は流行らないという風潮があったことを記しています。しかし宗旦は、茶の湯の本質を見極めずに、流行に流されて、うわべだけを教えるような茶の湯の師匠が多いことを批判しています。そして、正直な気持ちで茶の湯に向き合うべきであると述べています。
わび茶が流行遅れであるという世相の背景には、金森宗和(かなもりそうわ)に見られるような茶の湯の流行があったのでしょう。宗和の茶は「姫宗和」と称されるように、仁清(にんせい)の色彩鮮やかで優美な焼物をとりいれた、綺麗(きれい)で繊細な茶の湯でした。それは、宗旦のわび茶とは対局の位置にあったといえます。
こうした時代の風潮を宗旦はしっかりと受けとめ、利休にはじまる千家のわび茶を貫こうとしたのです。それは、いかなる時代にあっても、自らの茶の湯に正直でありたいという宗旦の茶人としての姿勢でした。

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