【大意】
路次(露地)に柚の実が百あまりなりました。(中略)紹鴎の袋棚で、紹鴎棗、珠光の茶杓を用い、瓜の釜を釣り、手瓢(てふくべ)の大きな炭斗で茶の湯をして心を慰めています。
慶安3年(1650)と推定される、江岑宗左と仙叟宗室宛の手紙に見えることばです。冒頭で、露地に柚の実がたくさんなったと記しています。利休は柚の実が色づく頃に炉を開いたと伝えられますが、秋も深まるこの時期には、茶室の炉を開き、茶壺の封を切って新茶を使いはじめる「口切り」が行われます。
また、柚はわびの象徴でもありました。『茶話指月集』にはこんな逸話があります。利休がふと、大坂の守口のわび茶人を訪ねたところ、突然のことで、その茶人は「柚みそ」で利休をもてなしました。すると利休は「わびのもてなし、一段と面白い」 といって深く感じいったといいます。