【大意】
利休以来、(茶の湯の)教えがないうえ、その忰たちは見て覚えるばかりでした、と申し上げなさい。
元伯宗旦が、寛永10年(1633)2月12日付で江岑宗左に宛てた手紙に見えることばです。この手紙は、江岑が唐津城主の寺沢志摩守広高に仕官することが決まった直後のもので、宗旦は江岑がこれから茶堂として勤めてゆくための心がまえなどについて記しています。
「志摩殿(寺沢志摩守)は茶の湯のことや昔のことをよくご存知の方だから、話が合うことも多いだろう。しかし、私は茶の湯のことを何も存じませんので、志摩殿に教えていただきながらお仕えします、と申し上げなさい。千家では利休以来(茶の湯の)教えがないうえ、その忰たちは見て覚えるばかりでした、と申し上げなさい」。
宗旦は江岑に、けっして物知り顔をすることなく、謙虚な姿勢で寺沢志摩守に仕えるように忠告したのです。しかも興味深いのは、千家では利休以来、茶の湯の教えというものがなく、その忰たちは父親のすることを見て覚えてきただけであったということです。