世界の喫茶文化

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千宗旦「元伯宗旦文書」より

その1  その6  その11

その2  その7  その12

その3  その8  その13

その4  その9  その14

その5  その10 その15

千宗旦「茶杓絵讃」より

江岑宗左「江岑宗左茶書」より

千少庵
   「少庵の事績 京都と会津」

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千宗旦 「元伯宗旦文書」より その9
瓢箪の花入、りうこの花入取出し、慰申候

いっぽう立鼓の花入は、鼓(つづみ)の胴を立てたようなかたちによる呼名です。江岑の聞書には、利休と立鼓の花入にまつわる次のような逸話が見えます。利休はある時、古道具屋の店先で黄瀬戸の立鼓の花入を手に入れ、当時、三千貫の値打ちがあった青磁(唐物)の蕪無(かぶらなし)の花入よりも面白いと語ったといいます。この逸話は、利休が従来の価値観に対して新たな美意識を茶の湯に持ち込んだものとして注目すべきですが、黄瀬戸ということだけではなく、そのかたちにも利休はおもしろさを感じたのでしょう
宗旦が用いた立鼓の花入がどのようなものであったのか、具体的にはわかりません。しかし、利休所持の黄瀬戸の立鼓ではなかったようです。それは、この時期、武田道安という人が所持していました。江岑の茶会記には、宗旦が正保3年2月29日に江岑一人を客として、朝の茶会で「花入 りうご」を用いた記録があります。
瓢箪の花入や立鼓の花入は、もちろん宗旦自身の意にかなった道具でしたが、利休のわびの道具としても心を寄せていたのでしょう。

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