「ろく」は江岑の美意識であったことがわかりますが、それと対照的であったのが古田織部(ふるたおりべ)と金森宗和(かなもりそうわ)です。
織部は利休の武将の弟子で、利休亡き後、徳川2代将軍秀忠の茶の湯指南をつとめ、天下の宗匠になりました。しかし、織部は、
沓形(くつがた)の茶碗に象徴されるように、ひずんだ造形の道具を好んで茶の湯にとり入れました。こうした織部の美意識は、「異風異体」あるいは「かぶき」の美とも言われます。
宗和は、野々村仁清の手になる優美で華やかな御室焼(おむろやき)を茶の湯にとり入れ、その茶風は「姫宗和」と称されました。
江岑には、こうした両者に対する厳しい批判があったのかもしれません。江岑の「ろく」は、織部や宗和の茶とは対極にある、慎ましやかで目立たない、いわば「そそう(麁相)」の美であったとも言えるでしょう。