世界の喫茶文化
茶の湯の伝統
利休の茶の湯とその流れ
茶室と露地
形とふるまい
茶の湯の道具
茶の湯の楽しみ
静聴松風
茶人のことば
村田珠光「心の文」
武野紹鴎『山上宗二記』より
千利休『逢源斎書』より
千道安「茶の湯道歌」より
千宗旦「元伯宗旦文書」より
千宗旦「茶杓絵讃」より
江岑宗左「江岑宗左茶書」より
その1 その9 その17
その2 その10 その18
その3 その11 その19
その4 その12 その20
その5 その13 その21
その6 その14 その22
その7 その15 その23
その8 その16 その24
千少庵 「少庵の事績 京都と会津」
随流斎『随流斎延紙ノ書』より
表千家の茶事
内弟子「玄関」の一年
茶の湯の歳時
茶の湯の菓子
茶室への誘い
利休をたずねる
花所望
利休が何歳頃の話であったのかはわかりませんが、仮に18歳くらいとすれば紹鴎は38歳ということになります。紹鴎茄子の茶入は、現在も伝わっている紹鴎所持の大名物の唐物茶入で、当時から茶人の間でことに有名でした。紹鴎は茶の湯の弟子である利休にこの茶入をなかなか見せませんでしたが、ある年の大晦日の晩、紹鴎を訪ねてきた利休に対し、紹鴎茄子の茶入で茶をもてなしたという話です。 江岑はこの話を自ら書きとめ、最後に「深い心持ちである」と締めくくったのです。それは紹鴎の利休に対する深い心持ちということでしょう。 紹鴎が、それまで何度か機会がありながら与四郎に紹鴎茄子の茶入を見せなかったのは、その茶入で一客一亭の茶の湯をして、与四郎をもてなそうと考えていたからではないでしょうか。ただ見せるだけならいつでもできたはずです。しかし、紹鴎は紹鴎茄子の茶入で利休をもてなす機をうかがっていたのかもしれません。 江岑はこの短いことばのなかに、紹鴎と利休がいかに強く結ばれていた師弟であったかを伝えようとしたのでしょう。
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