世界の喫茶文化

茶の湯の伝統

利休の茶の湯とその流れ

茶室と露地

形とふるまい

茶の湯の道具

茶の湯の楽しみ

静聴松風

茶人のことば

村田珠光「心の文」

武野紹鴎『山上宗二記』より

千利休『逢源斎書』より

千道安「茶の湯道歌」より

千宗旦「元伯宗旦文書」より

千宗旦「茶杓絵讃」より

江岑宗左「江岑宗左茶書」より

その1  その9  その17

その2  その10  その18

その3  その11  その19

その4  その12  その20

その5  その13  その21 

その6  その14  その22 

その7  その15  その23 

その8  その16  その24 

千少庵
   「少庵の事績 京都と会津」

随流斎『随流斎延紙ノ書』より

内弟子「玄関」の一年

茶の湯の歳時

茶の湯の菓子

茶室への誘い

利休をたずねる

花所望

江岑宗左 「江岑宗左茶書」より その11
尤サウナル事共也

「利休は、はじめの釜を与次郎に申し付けた時、その地肌をかつかつと荒らすように命じた。その時、孫の宗旦は十一歳で、利休のそばにいてこの話を聞き、覚えていた。(以前につくった)尻張り釜は地肌がなめらかだったので、阿弥陀堂は地を荒らすよう利休は命じたのである。ところで、この物読みの坊主は、宗旦ら利休の孫たちに読み書きを教えている坊主であった。
さて、利休は次に鋳させた釜を阿弥陀堂の坊主におくった。利休が所持した阿弥陀堂の釜は細川三斎が所持し、今はその子孫のところにある。阿弥陀堂釜の銘については、世間では確かなことがわからず、いろいろな噂話がある。この釜の銘のことは宗旦がよくよく話していたので、そのように聞いている。」〔以上、翻刻2の部分の大意〕

阿弥陀堂釜の銘の由来について、世間では、阿弥陀堂に伝わる釜を写したためであるとか、釜の形が阿弥陀堂の僧の頭の形に似ているためであるといった話がありました。江岑がこのように記したのは、ことに利休の道具に関する伝承は、千家に伝わる話こそが確かで、その口伝をありのままに書き残しておくという意味があったからでしょう。 江岑が宗旦から聞いた話は、宗旦が利休のそばで、直に接した利休の言動そのものだったからです。

前ページ 次ページ
江岑宗左を読む
Japanese Tea Culture

表千家不審菴:表千家不審菴のこと

表千家からのご案内表千家北山会館表千家不審菴:ご覧になられての感想表千家不審菴:お問い合わせ
表千家同門会のこと
Copyright© 2005 OMOTESENKE Fushin'an Foundation. All Rights Reserved.