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さて、随流斎は『延紙ノ書』に「茶之十徳」について記したその次の行に「右古キ釜ニ書付有」と記しています。随流斎はその釜のことは具体的に記していませんが、十の徳が鋳込まれた茶の湯の釜を実際に見たか、あるいはその伝来を聞きおよんで「茶之十徳」を書き残したものと思われます。
京都の洛北、栂尾に高山寺というお寺があります。鎌倉時代に明恵上人が開いた寺です。高山寺は日本ではじめて茶園が作られた場所としても知られています。この高山寺の明恵上人が、茶の十徳の語を鋳込ませた芦屋釜があると伝えられてきました。
実際、古芦屋釜のなかに「十徳釜」といわれるものが伝存しています。この釜が作られたのは、明恵上人没後の室町時代末期と推定されていますので、明恵上人の教えをのちの人が鋳込ませたものか、すでに上人存命中に本歌があってそれを後世写してできたものなのかは分かりません。しかし、随流斎の時代には、明恵上人が命じてつくらせた釜の伝承があったことが、いくつかの茶書から分かっています。
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