珠光のこのことばは、利休の弟子の山上宗二が著した『山上宗二記』に伝えられています。「わらや」は粗末な藁葺きの小屋で、そのなかに「名馬」を繋ぐのがよい、というのですが、宗二は続けて「名物の道具をそそうなる座敷に置きたるは当世の風体。なお以って面白きか」と記しています。名馬は茶の湯の名物道具のたとえで、それを豪華ではない粗相な座敷に置くのがよいといったのです。そして、座敷と道具だけではなく、道具と道具においても、強い対照をなす取り合せに珠光は美を見出しました。
このことばは、珠光が残した「月も雲間のなきは嫌にて候」(『禅鳳雑談』)、「和漢の境をまぎらかすこと肝要肝要」(
「心の文」)ということばと深く通じるものでしょう。珠光は、唐物の道具が珍重される時代の茶の湯にあって、備前や信楽など和物の道具を取り合わせること、つまり「和」と「漢」の道具をあわせ用いることを唱えました。そして、それは「和」と「漢」の心を調和させることでもありました。
珠光は、唐物の名物に代表される数寄の道具と備前や信楽にみるわびの道具、さらには、その心の融和に重きをおいた先駆者だったのです。