織部は「一、かなつかひは、定家せんさく候へとも、定家の書候物にハかなつかひのちかひおほし、数寄も置合知たるうへにては見てさへ置候ヘハ、なにと置候ても不苦由」(『茶道長問織答抄(さどうちょうもんしょくとうしょう)』)ということばを残しています。大意は次のようになるでしょう。
「仮名遣いは藤原定家が研究したことであるが、その定家の書いたものには仮名の間違いが多い。茶の湯の道具の置合せなど、基本をよく心得ていれば、実際には見ておかしくないかぎり、どのように置いてもよい」。
定家は鎌倉時代の歌人として有名ですが、日本で最初に仮名遣いを研究した人でもありました。『下官集(げかんしゅう)』という書のなかで仮名遣いを定め、これがのちの歴史的仮名遣いの基本となりましたが、その定家も仮名の間違いが多いといいます。しかし基本を知っていて自由にするのと、知らずにするのとでは、同じ間違いでもまったく質が異なるというのでしょう。それと同じように、茶の湯の道具の置き合わせについても、基本を習得していれば、自由にするのはよいと言っています。
織部の茶は「破格の美」といわれますが、それは師の利休から茶の湯の基本を学びつくしたうえで自由に表現したものでした。
|
 |
 |
 |
|
|