世界の喫茶文化

茶の湯の伝統

利休の茶の湯とその流れ

茶室と露地

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茶の湯の道具

茶の湯の楽しみ

静聴松風

茶人のことば

村田珠光「心の文」

武野紹鴎『山上宗二記』より

千利休『逢源斎書』より

千道安「茶の湯道歌」より

千宗旦「元伯宗旦文書」より

千宗旦「茶杓絵讃」より

江岑宗左「江岑宗左茶書」より

その1  その9  その17

その2  その10  その18

その3  その11  その19

その4  その12  その20

その5  その13  その21 

その6  その14  その22 

その7  その15  その23

その8  その16  その24  

千少庵
   「少庵の事績 京都と会津」

随流斎『随流斎延紙ノ書』より

内弟子「玄関」の一年

茶の湯の歳時

茶の湯の菓子

茶室への誘い

利休をたずねる

花所望

江岑宗左 「江岑宗左茶書」より その21
寄(奇)妙々

ところで、藤村庸軒(ふじむらようけん)が師の元伯宗旦から聞いた話を庸軒の娘聟の久須見疎安(くすみそあん)が筆記した『茶話指月集』にも同じ話がみえます。大意を記してみましょう。
「春の頃、秀吉公は大きなかねの鉢に水を入れて床になおさせ、その傍らに紅梅を一枝置かせ、宗易(利休)に花を入れなさい、と仰せになった。秀吉の側に仕える人たちが、これは難題であるとささやくなか、宗易は紅梅の枝を逆さにして手に取り、水鉢に枝をさらっとしごいて入れると、紅梅の開いた花と蕾が入りまじって水に浮かんだところが何とも言えず風流であった。秀吉公は、何とかして利休を困らせてやろうとしたが、困らないやつじゃ、と仰せになり、ご機嫌であった」
『茶話指月集』には、その時の情況が詳しく綴られています。というのも、この茶書は版本として広く世間に刊行されたからです。それに比べて『江岑咄之覚』は表千家の家元にのみ伝えられた茶書です。短い文章のなかに利休のこころが伝えられたと言えるでしょう。

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